2013/08/21
<赤磐市とプロペラ会社 来月から実験>
実験が行われるのは、赤磐市立川の山陽浄化センター。同センターは市街地などから排出される下水を処理しており、12年度の処理実績は、1日平均4343立方メートル。発電機は浄化処理が終わり、川に放流する処理水が流れる地下水路に設置される。
ナカシマプロペラが開発した発電機は筒形で、中に直径22センチ前後のプロペラが取り付けられている。プロペラは、シャフトで発電機に直結されて おり、筒の中を水が落ちる勢いで回転し発電する。発電能力は、水の落差1メートル、流量が毎秒80〜120リットルの場合、1000ワットだという。同社 は、小水力発電機1基を、家庭用太陽光発電機並みの能力に上げることを目標にしている。
また、実験で発電した電気の利用や、処理水が流れない時の蓄電システム作りは水道施設施工業「川本」(岡山市北区)が担当する。
市と2社は今月、市役所で実証実験に関する協定を締結。赤磐市の友実武則市長は「新たなビジネスモデルになれば」と期待し、ナカシマプロペラの中島基善社長は「水中で動くプロペラは、我が社が得意とする技術」と実験に意欲をみせた。
2013/08/21
神奈川県内広域水道企業団は、随意契約を予定する、「相模原小水力発電設備修繕工事」について、業務実施可能者の有無を確認する。既存設備の施工業者であるイームル工業から当該工事を施工するために必要な詳細図面、補修部品の提供を受けることが可能者であることなどが条件となる。
http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130819400005.html
2013/08/21
東京発電(東京都台東区)は、神奈川県箱根町に水力発電所「須雲川(すくもがわ)発電所」を建設し、今月上旬から営業運転を始めた。発電した電気は、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度を利用して東京電力に全量売電する。
同制度による小水力発電を箱根町で実現するのは初めてで、温暖化防止にも貢献する。発電所の最大出力は190キロワット。年間発電量は約110万キロワット時で、一般家庭約300軒分の電力需要を賄える。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/130819/bsd1308190601002-n1.htm
2013/08/19
記録的な少雨の影響で、山梨県 企業局の7月の水力発電量が目標値の76・5%にとどまり、東京電力への売電額は目標より約2千万円少なくなる見通しであることが16日までに分かった。 8月も少雨が続いており、企業局関係者は売電収入のさらなる落ち込みに懸念を強めている。
県企業局電気課によると、小水力発電所を含め、県営の水力発電所は早川、笛吹川、塩川の3水系を中心に21カ所ある。ダム近くや取水口近くで測った7月の雨量は平年値の36〜40%にとどまり、発電に必要な水量が十分に確保できない状況が続いている。
21カ所の7月の発電量は計4678万74キロワットアワーで、過去10年間の発電量の平均値に当たる目標値(6119万キロワットアワー)の4分の3程度となった。売電の目標額は約3億1千万円に設定していたが、売電実績は2億9千万円にとどまる見通しだ。
水系別の発電量は、笛吹川(11カ所)は目標値の59%(1045万キロワットアワー)、塩川(1カ所)は60%(35万4千キロワットアワー)にとどまり、落ち込みが大きかった。早川(6カ所)は84%(3578万キロワットアワー)だった。
同課によると、過去5年間の7月の発電量は目標値の97〜128%で推移しており、今年は最少。同課の担当者は「水力発電は天気の影響を受けやすい面がある。売電収入を確保し、電力需要に対応するためにも早い時期の雨を期待したい」としている。〈小林義徳〉
2013/08/19
全国的な猛暑日となった8月10日、小田原で町づくりなどを担う地元企業や民間団体、学生らのボランティアが「100年前の郷土の小水力発電所を復活させたい」との思いで、土木作業を行った。長く放置されてきた大正時代の小水力発電に、いま注目が集まっている。(ノンフィクションライター・高橋真樹)
大正時代に作られた小水力発電の跡地があるのは、小田原駅から車で10分程の距離にある小田原市久野の山林。この日集まったのは、山林を所有する辻村百樹さんのほか、小田原地域をベースに自然エネルギー事業を立ち上げたほうとくエネルギー(神奈川県小田原市)、その母体となった小田原再生可能エネルギー事業化検討協議会、地域おこしを行う小田原藩龍馬会のメンバー、関東学院大学小田原キャンパスの学生ら約30人だ。
小水力発電の発電機が設置されていた深さ2メートル以上の窪地から、チェーンソーなどで伐採した樹木などを手作業で運び出し、雑然としていた跡地を再利用できるよう整備した。
炎天下で重い切り株を運び上げていた、ほうとくエネルギーの蓑宮武夫社長は言う。「この立派な遺構に感動しました。まもなく建造から100年になるので、それまでに復活させたいと思い、町おこしをやっている人たちに呼びかけました」
■ もともとあったエネルギー資源に目を向ける
この小水力発電所は、1917年(大正6年)に辻村さんの祖父の常助氏が建造し、自らが所有する製材所や自宅などの電力として使用、紡績工場への売電も行っていた。当時の出力は117キロワットで、送電網が久野の山林まで整備された1948年まで稼働していたが、その後は山林の中に放置されていた。この日整備した場所にあったはずのタービン発電機も戦後の混乱で盗難にあっている。
しかし100年前に作られた石組みは、周辺の水路や調整池に至るまで堅牢なまましっかりと残る。「ここを整備して、もう一度光を当てたい」と考えた辻村さんは言う。
「作業の目的は2つ。一つは文化財的に、郷土にこういうものがあったんだという価値を残したいということ。もう一つは、今の技術を使えばもっと良い発電ができるかもしれないという期待もあります。これを活用できれば、地方にもともとあったエネルギー資源に目を向けてもらうきっかけになるのではないでしょうか」
発電所跡地の水利権は辻村さんの所有だが、上流では当時より水量が減っているため、まずはどの程度発電できるか調査を行う予定になっている。また、発電所として使えない場合でも、地域の史跡として保存したいと考えているという。
集まったボランティアに向けて挨拶をする辻村百樹さん
小田原に限らず、かつて日本の山村では盛んに小水力発電によるエネルギー自給が行われていた。明治、大正時代などの最盛期には、全国で約8万カ所にあったと言われている。今では山のエネルギー源に目が向けられることはなくなってしまったが、こうした先人の取り組みから学ぶことは多いはずだ。