2016/09/13
2016年9月13日掲載
1891年に運転を始めた関西電力の蹴上けあげ発電所(京都市左京区)が、社会の進歩に貢献した技術革新に贈られるIEEE(アイ・トリプル・イー)の「マイルストーン」に認定され、12日、京都市で贈呈式が行われた。
蹴上発電所は琵琶湖から京都に流れる琵琶湖疏水を利用した水路式の発電所で、現在も1年間に1670万キロ・ワット時(約4600世帯の家庭の使用量に相当)の電力を生み出している。日本初の事業用水力発電所として知られ、1942年に京都市から関電の前身である関西配電に引き継がれた。
岩根茂樹社長は贈呈式で、「資源の少ない日本にとって水力は純国産エネルギーだ。天の恵みを暮らしに生かす先人の思いを継承していきたい」と述べた。
IEEEは米国に拠点を置く電気・電子技術の世界的な専門家組織で、マイルストーンは開発から25年以上が過ぎた技術を対象にしている。これまでに世界で169件、日本では東海道新幹線やシャープの電卓など28件が認定されている。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160913-OYO1T50007.html
2016/09/12
2016年9月12日掲載
板橋区立水車公園(板橋区四葉1)内の水田で9月10日、区内在住の親子16組がもち米を収穫する稲刈り体験が行われた。
水車公園のある板橋区四葉・徳丸周辺は、数十年前まで区内有数の水田地帯で「徳丸たんぼ」と呼ばれる地域だったが、宅地化が進んだ現在はその当時の様子をうかがい知ることはできなくなっていた。同公園は、当時の面影を後世に伝えようと板橋区が1985(昭和60)年に開設。2面計約130平方メートルの水田を配置し、水田脇には水力で穀類をつくための水車小屋も再現され、区民による稲作体験が毎年開催されている。
今年も5月に「ヒデコモチ」という品種のもち米の苗を植え、7月には近隣の小学校の児童が作ったかかしが水田脇に立てられ、今回の稲刈りを無事に迎えた。
この日参加した子どものほとんどは、稲刈りだけでなく鎌を持つことが初めて。水田を管理する「徳丸北野神社田遊び保存会」指導の下、稲の育成状況や稲刈り時の鎌の取り扱い等について学んだ後、グループごとに作業を行って一人2~3株ずつ稲を刈り取った。水車公園内は子どもたちの元気な歓声であふれ、「どろどろになったけど楽しかった」「春に植えた苗が大きくなってビックリ」「食べるのが楽しみ」などと満足そうに話していた。
刈り取った稲は、同保存会によって1週間ほど天日干しにされた後に脱穀・精米され、11月26日に行われる収穫祭の餅つきで振る舞われる予定。
2016/09/12
2016年9月12日掲載
一般社団法人新エネルギー導入促進協議会(NEPC)は、小水力発電の導入・普及の促進に向け、汎用製品や海外製品、融資・保険等に関する実態調査を行った結果の概要を公表した。
調査事業の概要
小水力発電事業において特に初期投資に占める割合が大きな設備投資コスト低減のため、「(1)汎用製品の活用について調査・検討」するとともに、「(2)海外製品の実態について国内製品と比較・調査」を行い、その活用法について分析・評価した。さらに、小水力発電事業の導入・促進のため、「(3)小水力発電事業における融資等や保険に関する実態調査」を実施し、発電事業者および金融機関にも利用可能なファイナンス面での対応手法等の調査・検討を行った。
この調査事業「平成27年度 小水力発電の導入促進に係る調査業務」は、三菱総合研究所および新日本コンサルタントに委託して実施した。調査期間は2015年11月16日~2016年3月10日。
今回、小水力発電の導入・普及の促進に資する取り組みの一環として、本調査業務の成果概要を公開した。
(全文は転載元より会員登録のうえ閲覧できます)
2016/09/09
2016年9月9日掲載
世界最大の直流急速充電ステーションが9月1日、ノルウェーのネッベンスという街にオープンした。米国のエコカー専門情報サイト『Green Car Reports』によると、首都オソロから北東に約40マイル(約64km)のところにあるこの街には、同時に28台ものクルマの急速充電を可能とするステーションが開設されたという。その規模がいかほどか、米国と比較してみよう。米国エネルギー省のデータを参照すると、この28台分の充電器というのはアラスカ州とノースダコタ州にある一般車向け充電ステーション(急速と標準の両方を含む)の数を全部合わせたよりもはるかに多い。また、アーカンソー州、デラウェア州、モンタナ州、ワイオミング州の各州で保持している充電ステーションのそれぞれ約半分にも相当するのだ。EV促進のための現地組織『EV Norway』によると、オープン当日は、その評判を聞きつけた150台のテスラ車のオーナーたちが集結し、その開設を祝福したという。
ステーションの規模には圧倒されるが、ノルウェーは世界で最も電気自動車(EV)の普及率が高い国なので、このような施設がノルウェーに開設されたことは当然にも思える。比較的安価な水力発電による電力需給が約99%を占めるノルウェーだからこそ、政府もゼロ・エミッション車両を強く推進しているのだ。EV所有者には、道路税、自動車税、(ノルウェーで通常全ての自動車に課される)購入税の免除に加え、有料道路、オスロ市内の市立駐車場や充電ステーション、特定のフェリーを無料で利用することができる特典が与えられる。
今年に入ってから、ノルウェーはEV促進に関して、さらに政策を推進するとみられていた。今年の春に発表されたノルウェーの全国交通計画(ナショナル・トランスポート・プラン)2018~2029では、この10年の間にガソリンおよびディーゼル・エンジン搭載車の販売を禁止することが定められているという報道があったのだ。しかし先月、ノルウェー運輸通信省の報道官はそのような計画はないと否定している。
By Danny King
翻訳:日本映像翻訳アカデミー
http://jp.autoblog.com/2016/09/08/largest-ev-charging-station-norway/
2016/09/08
2016年9月8日掲載
我が家に電気が点ったのは定かでないが、小学校の入学前1934年ころであったと思う。当時、家族10名(曾祖父、祖父母、両親、伯母3名、妹)で、夜の明かりは石油ランプか蝋燭で、伯母達が交互にランプのホヤに付く煤(すす)をとらなければならぬが、手は汚れ、下手をするとホヤを割り、怪我をすることもあるから大嫌いな役目でよくこぼしていたから、ポッカリと裸電球の灯りは煌(きらめ)いていた。だから伯母達の喜びは如何ほどであったか。この電源は隣村小出村の蛇場見に近隣町村で結成した
仁賀保電気組合が経営する水力発電所である。「点いたり消えたり蛇場見の電気」と揶揄されても、それはもう有り難いものであったが、全世帯が利用できるまでは相当の年月が必要であった。
ちなみに日本の電気は明治11年(1978年)ガス灯から電気になっているようであるから、約半世紀かけて秋田の田舎に電光が点ったことになる。そして今では夜を日にあげず何もかも電気の時代となり、これの電源が生命体の滅亡しかねない原発となり、賛否両論でモメこんでいる。
発電に伴い電気柱が建つようになり、次に出てくる電話で電信柱と並立され電信柱一本に数十本の電線が張られ、それに群れ雀などが所狭し留まる姿も今は昔となってしまった。
それからまもなく電話が我が家に入った。100余戸の集落に唯1戸、それは祖父が集落会長をしていたからで、そのとばっちりは総て私の身にふりかかってくることなど想像もせず喜んだものであった。
その多くは個人にくる電話で、知らせに走り告げ係なのである。それには人の名前と家の場所を覚えなければならない。幸い当時の家は屋号か家名が付いており、世帯名を覚え、後はその家の立場で呼べばいいわけで、父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃんといった具合でよかったから。もう一つ不満は、この大変な役割なのに、お駄賃手当が皆無であったことである。
お駄賃の話になると、何の芸もないお金ではなく、何かちょっとした手製のおやつである。干し餅とかあられ、こうせんなど。お駄賃のことで忘れられないのは買い物の役で、当時は村には組合(産業組合)が各集落に一軒の委託店舗を設置し、日用必需品を通帳で購入できる制度があり、よく使い走りで出かけたものである。
すると店番の母さんから「よくきたな、ほらお駄賃だよ」と大きな黒砂糖桶から鑿(のみ)で描き出した黒砂糖の固まりを手に乗せてくれる。それを帰宅する道すがら、右手に唾をつけて溶かしながら、舐めては溶かしできるだけ長時間甘みを長引かせる作戦で、あの美味しさと嬉しさは今も鮮明に蘇る風景である。
農学校の寄宿舎生活をするまでの少年時代にお金を使ったのは、少年倶楽部の臨時増刊を買うときだけであった。(毎月は買えなかった)。だから金勘定はまったくだめであった。金銭では組合購買で自転車が華形の頃「組合号」が出て、丈夫で割安で人気があったが、パンクや修理の際、業者が修理拒否で結局製造中止された。今の農協たたきがかっての産業組合にも存在したのである。