2013/09/13
県が避難所や防災拠点に再生可能エネルギーの導入を進める方針であることが10日、分かった。「再生可能エネルギー等導入推進基金」を近く創設。環境省からの交付金13億円を積み立て、補助金を支出する。避難所、防災拠点への再生可能エネルギー導入を対象にした補助事業は県では初めて。19日開会予定の県議会定例会に関連議案を提出する。
災害で電力が途絶えた場合、避難所や防災拠点が機能を維持するには自らエネルギーを生み出す必要がある。再生可能エネルギー設備があれば、電力などエネルギーを確保できる可能性が高まる。環境への負荷も低下する。
小学校や公民館、コンビニエンスストアなど災害時に地域の防災拠点となる施設への再生可能エネルギー導入事例に、県は基金から補助金を支出する。補助率は市町村へは全額、民間施設へは3分の1。補助金の上限はないが、災害時に必要最低限な規模に限定する。
環境省からの交付金は本年度は全国で21自治体に245億円。県環境生活政策課は「防災拠点への導入を促し、防災力を高める。小水力など岐阜県のポテンシャルを生かした事例も期待できる」としている。
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20130911/201309111056_20904.shtml
2013/09/13
美濃加茂市伊深町に市内初の小水力発電施設が完成し、十日に現地で起電式があった。最大出力は五〇ワット。農業用水路を利用して発電、蓄電し、災害時の非常用電源などを確保する。
装置は三菱電機プラントエンジニアリング社製で、水車の回転をベルトで発電機に伝える仕組み。配電盤には蓄電池とコンセントを備えている。
非常時には二〇ワットの発光ダイオード(LED)照明五台を三十六時間点灯させ、同時に携帯電話五十台を充電できる。普段は夜間、近くのLED防犯灯を点灯する。
式には県や市、地元関係者、近くの伊深小学校の六年生十一人が参加。藤井浩人市長と児童を代表して六年生の久保田ゆうりさんが配電盤のスイッチを入れた。
県可茂農林事務所の石原雅弘所長は「地球温暖化防止や原発事故で再生可能エネルギーが注目される中、身近な電源として農業用水路を活用したい」とあいさつ。藤井市長は「施設整備をきっかけに、今後の市や日本のエネルギー利用の在り方を市民とともに考えていきたい」と述べた。
施設は、市の要望を受けた県が「小水力発電防災機能強化事業」の一環として約五百万円で整備。同事業では県内五カ所目、中濃地域では東白川村に続く二カ所目の設置となる。 (酒井健)
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20130911/CK2013091102000019.html
2013/09/13
美濃加茂市立伊深小学校前の用水に小水力発電施設が完成し10日、藤井浩人市長ら関係者を集めて完成式が行われた。同市内では初の小水力発電施設で、今後も設置場所を検討して第2、第3の設置を目指す。
事業主体は県可茂農林事務所で、事業費は約500万円。発電量は約30ワットで、災害時に避難所になる小学校の前に設置した。
用水路に水車を設置し発電機を回す仕組みで、配電盤設備に蓄電池8個を置いた。通常は近くに設けたLED防犯灯に電気を供給する。非常時には蓄電池を活用。携帯電話50台分の充電が可能で、LED照明なら夜間に3日間点灯できる容量があるという。
完成式で藤井市長は「豊かな自然を生かし、市としても自然エネルギーの創出に取り組みたい。子どもたちには、この施設を教材にして市や日本のあり方を考えてほしい」と話した。起電セレモニーで、同小6年、久保田ゆうりさんが藤井市長と一緒に装置のスイッチを入れ、6年生11人全員がお祝いに「大切なもの」を歌った。
完成式の終わりに近くの保育園児が飛び入り参加するハプニングもあり、園児たちは自分で収穫した枝豆を藤井市長にプレゼントした。【小林哲夫】
http://mainichi.jp/area/gifu/news/20130911ddlk21040280000c.html
2013/09/10
農業や農村の活性化を目的に、県が推進する農業用水路などでの小水力発電の導入に向けて、厚狭川の寝太郎堰(ぜき)で発電機設置への可能性調査が行われている。発電方式や発電量、概算事業費、費用対効果を検討し、設置の判断材料とする。
農業用水を活用した小水力発電機を総合的に推進し、農村地域資源の有効活用と再生可能エネルギーの供給システムの実現を目指す取り組み。昨年6月に県農業用水小水力発電推進協議会を立ち上げ、県、10市町、土地改良区10団体、JAなどが情報交換を進めている。
可能性調査は今年度の事業として、県が発注。水の流量や落差から発電量を調べ、必要施設の整備や予測される売電収入から費用対効果などを検証。事業費は全て国費で賄っている。
調査結果を踏まえ、寝太郎堰などの維持管理に携わる寝太郎堰土地改良区(津野薫理事長)が、県や市との協議から設置の是非を判断する。決まった際の整備工事費は国と同改良区が負担。発電用の水利権の取得も必要になる。
県農村整備課によると、今年度は寝太郎堰と葉山ケ瀬水路(宇部市万倉)を含め、農業用ダムと農業用水路の各3カ所で可能性調査を進めており、現段階では、水量などから寝太郎堰が最も有力という。
2013/09/10
◆“電気の谷”息吹再び
2011年9月、紀伊半島を襲った台風12号による豪雨の影響で、甚大な被害を受けた関西電力大里発電所(三重県紀宝町)。運開から数え今年で110年目を迎えるこの小水力は、建屋が冠水、えん堤も土石流で埋没し、導水路や排砂設備などは完全に使用不能の状態に陥っていた。開発適地の乏しくなった貴重な水力発電所とはいえ、設備は再起不能に近いありようで、関電の台所事情を勘案すれば「閉鎖」の二文字が選択肢に挙がるのも自然な流れといえた。(上田顕史)
◆再建へ知恵
自社の創業よりもはるかに古いこの設備を守ろうと、第一線職場で設備を保守する新宮電力システムセンター(SC)と、土木工事を受け持つ田辺電力SCが復旧計画の検討に乗り出す。厳しい収支状況をにらみながら、運用後の保全を含めた合理化策に知恵を絞り、発電所再建への道筋を示した。前新宮電力SC所長の山本修(現滋賀支店設備計画グループチーフマネジャー)は「発電所の存続が伝えられた時、所員全員が歓喜した」と涙ながらに述懐する。
原動力となったのは、現場を支える所員らの「マイプラント意識」だ。公益色の強い企業文化に育まれながら、脈々と受け継がれてきたこの価値観は、電力会社の財産の一つといっていい。経営トップとの対話活動の場で直訴を試みる所員もおり、発電所再生への英断を後押しした。
◆入れぬ現場
だが、死者78人・行方不明者16人の被害を出した未曾有の災害だけに「大里復旧に至るまでの道のりは険しかった」(山本前所長)。新宮電力SCエリアは、氾濫した川沿いの地域がのみ込まれ、主要道路も土砂崩れで寸断。4日間で大阪市の年間降雨量に匹敵する雨が降った地区もあった。陸の孤島と化した地域では自治体の備蓄食料が放出され、被害を確認しようにも、水も引かない発電所には近づくことさえできなかった。
災害発生から約2週間。土木設備の被害状況を調べに和歌山県内を走り回った田辺電力SC課長(土木)の中村博久は、復旧が遅々として進まぬ通常ルートを迂回(うかい)し、ようやく大里に入った。そこで目にしたのは、航空写真では判別できなかった被害の実態だった。
土石で埋没するえん堤、下部がえぐり取られた岸壁で宙吊り状態になった導水路…。「本当に直せるのか」。中村はがく然とした。大型重機が投入できれば一気に片が付く。が、そもそも大型重機を運ぶ道がない。コスト削減が求められる折、同様の自然災害に耐え得る設備を造ろうにも、条件はすべて費用増に傾いている。
「これまで以上の設備を最低限の予算で建設する」。ベテランのみせる熱気に、次第に若手も感化されていく。こう長1キロメートルに及ぶ索道の採用、土石流に強いチロリアン方式の取水口の開発など、関係者間で議論を重ねながら、復旧計画をまとめ上げた。
だが、土木工事の入札は不調に終わった。
◆傘下の協力
工事の担い手がいない――。東日本大震災の影響で工事価格の高止まりが続き、豪雨の被害にあった地元でも、職人や重機などの工事力は町のインフラ復旧に回され、なかなか確保できずにいた。
最終的に1番札を取ったグループ会社、環境総合テクノスが関電の協力要請に応じた。「できない」があらかた許されない電気事業において、グループ会社は時として「最後の砦(とりで)」の役目を担う。電力会社にとって、運命共同体となるグループ会社、協力会社が欠かせぬゆえんだ。事実、東京電力福島第一原子力発電所では事態収束に向け、グループ会社や協力会社も電力社員とともに命を賭する覚悟をみせた。
現場代理人を務めた同社土木部土木インフラグループマネジャーの西浦利青は「何とかしたい気持ちはグループである我々も同じ」と話す。同社も会社を挙げ、コストダウン方策の検討・支援に乗り出す。水圧鉄管を想定した当初案に現地作業の少ないU字・蛇腹タイプの工場加工製品を採用する代替案を提案、付き合いの深い地元業者にも協力を仰ぎ、関電が示す予算水準にまで引き下げた。
◆地元の愛着 願い結ぶ
災害発生から約1年を経て、工事は始まった。出水があれば中断せざるを得ないのが水力の現場だ。そのため「できるうちにやっておく」(西浦マネジャー)と、工程の前倒しが基本スタンスとなるが、ひと山またぐ大規模な索道建設は、人海戦術に頼らざるを得ない山中での作業になっただけに、出だしは若干遅れ気味に。
それでも竣工予定の7月に間に合わせようと、発注者、受注者ともに休日返上で作業に臨む。まだ幼い子のいる西浦だが、ほとんど自宅に帰らず、現場に向き合った。
関係者はそれぞれの持ち場・立場で工事に全力を注ぐも、制御できない自然を前に、復旧作業は一進一退を繰り返す。
仮設道路は春先の爆弾低気圧で流され、発電所にかけた仮設の橋も再び濁流にさらわれた。無慈悲な自然災害に打ちひしがれる町にあって、発電所の復旧にゴムボートで向かう所員の執念に、胸を熱くした住民も少なくなかった。
この間、上位機関の和歌山支店、和歌山電力所も新宮、田辺両電力SCを全面的に支援した。そして2013年7月、難工事を無事故・無災害で乗り切り、悲願の有水試験の日を迎えるに至る。設備をほぼ一から築く復旧作業は、技術継承の点でも重い意味があった。
◆明るさ戻る
営業運転への最終ステップとなるフル出力での負荷試験は「増水頼み」となるだけに、実施時期は現時点で見通せないものの、有水試験を終えた発電所には実質的な戦力としての活用が期待できる。震災以降試練が続く関電だが、幾多の困難を乗り越え、無事に有水試験入りを果たした現場はひとときの明るさを取り戻した。
着工から約10カ月に及ぶ所員の労をねぎらい、この日、和歌山支店長の戸神良章も現場に駆け付けた。「限られた予算の中で知恵を絞って頂き、やっとここまでこぎつけた。自然環境自体が厳しくなっているが、せっかく復活させた発電所だ。末長く維持・運営できるよう、引き続き力を尽くしてほしい」。感慨を込め、関係者らにあらためて謝意を示しつつも、戸神は「地元の方々の協力があったからこそ」とくぎを刺した。
大里発電所の存続は、実は地域住民の強い願いでもあった。2キロメートル先の上流にある天然記念物「甌穴」(おうけつ)、かんがい用の堰(せき)がつくる下流の「自然プール」に並び、大里発電所は「電気の谷」の愛称で地域に親しまれている。三重県最古の発電所とあって、誇りにする住民も多い。当時、崩壊した遊歩道を迂回(うかい)し、すぐさま山道をたどって発電所に駆け付けた住民の数も、一人や二人ではなかったという。
大里区長の古屋敷良は当時をこう振り返る。「我々の生まれる前からあった愛着の深い発電所だ。今度こそ閉鎖されるのではないかと、本当に多くの区民が心配していた。関電さんから発電所の存続が決まったと伝えられた時、復旧作業には全面的に協力すると約束した。思い入れの強い電気の谷を守ってくれるのだから、こんなにうれしいことはない」
◆強い思い入れ
時に濁水の生じる可能性もある復旧作業に、農家は田植えの時期をずらして協力した。子どもの時分、川へ飛び込んだ発電所に架かるつり橋は、今回の災害で頑強な鋼橋に変わってしまったものの、それでも渡り初め(わたりぞめ)の日には仕事を休んで多くの住民が駆け付け、関電社員を驚かせた。区民たちのアイデアで、この橋は地域一帯の名称にちなんで「小登橋」と名付けられた。
地域との信頼関係は、電気事業を成り立たせる最も重要な要素の一つだ。マイプラント意識からくる現場の行動原理は、結果として地域とのきずなを守る重要な役割を果たした。
また「最後の砦」として機能したグループ会社の献身も、大里再生プロジェクトを実現に至らせる大きな支えになった。現行の電気事業制度の優れた構造を理解する上でも、このエピソードは示唆に富む。(文中敬称略)(随時掲載します)
※電気新聞紙面より転載