2016/06/14
2016年6月14日掲載
島根県美郷町は6月6日、美郷町の地域活性や新産業創出のため、木質バイオマス発電、小水力発電についての調査・基本設計業務の事業者を公募すると発表した。
地元の事業者以外でも公募可能 電力会社の創設も
この事業では、地元のみならず、日本全国の事業者から公募している。助成される金額は木質バイオマス発電が1100万円、小水力が1000万円。
また、運営形態・地域経済の活性化・経営の安定などを検討しつつ、地域新電力会社の創設も目指す。公募期間は6月20日(月)まで。事業の委託期間は契約締結の日から2017年2月28日まで。
業務内容は下記の通り。
01.調査業務
田水川地点における小水力・木質バイオマス発電所建設に伴う、設計業務に必要となる調査業務を実施する。
02.設計業務
田水川地点における小水力・木質バイオマス発電所建設が実施できる内容の基本設計図書を作成すること。
03.事業性・採算性の把握
上記の調査に基づいて、設備の導入・維持に伴う、イニシャルコスト・ランニングコスト・補助金などを考慮した投資キャッシュフローを作成する。
04.導入スケジュールの検討
3で作成した投資キャッシュフローをもとに、導入スケジュールを検討する。
05.工事費の積算
水力発電設備導入のための工事費の概算設計書を作成する。
調査~発電事業まで一貫して補助
この事業は、2014年10月に策定した「美郷町まち・ひと・しごと創生総合戦略」に掲げる仕事づくりを目的とした再生可能エネルギーによる循環型の町づくりを推進していくためのもの。
小水力・木質バイオマス発電事業では安定的な運営手法や経済性の詳細などの多岐にわたる検討が必要であり、基本設計から事業化までを同一事業者が行う事が望ましい。このため、この調査・基本設計業務に選定された委託事業者は、発電事業についても美郷町から優先的に支援を受けられる。
2016/06/13
2016年6月13日
石坂 朋久
栃木県の「小水力のシンボル」
1999(平成11)年に世界遺産に指定され、年間を通じて国内外から多くの観光客でにぎわう、栃木県日光市にある「日光の社寺」。その山内の木々が鬱蒼と生い茂る一角に、今回ご紹介する小水力発電所である「滝尾発電所」が建つ。
滝尾発電所を運営するのは、日光の社寺を構成する日光東照宮と日光二荒山神社、輪王寺が共同で設立した「日光二社一寺自家用共同組合」の電気事務所だ。現在の滝尾発電所は1955(昭和30)年の運転開始だが、日光の社寺が水力発電に取り組んだ歴史は古く、その起源は1914(大正3)年に運転を開始した発電所に遡ることができ、栃木県内における小水力発電のシンボル的な施設となっている。
歴史を重ねる中で発電所の規模や取水地点も変化しているが、現在の滝尾発電所は、近くを流れる鬼怒川の支流・稲荷川から取水している。最大使用水量は0.4立方メートル毎秒で、36メートルの落差により出力100kWの発電を行っている。得られた電力は自営の送配電網を通じ、日光山内の施設で消費されている。
発電所の『心臓』に当たる水車は何度か補修されているものの、基本的には運転開始時の姿を保つ。部品や周辺機器の中には、現在では国内での入手が難しくなったものも使われており、電気事務所の責任者である阿久津善徳所長は、「古くなった設備の保守が課題」と話す。
発電所の一角には、ピークカット用に設けたディーゼル発電機も備えられている。標高の高い日光山内では冷房用の電力消費は私たちが考えるほどではなく、電力消費のピークは「多くの参拝者を迎える、年末年始と節分会の行事の時期」(阿久津所長)という。
「自然との共生」実践
わが国の仏教や神道は、古くから「自然との共生」を説いてきた。それは、日光の社寺が運営する滝尾発電所においても例外ではなく、取水や導水の仕組みの中に、その精神がふんだんに生かされている。
最も特徴的なのは取水の方法だ。発電所から稲荷川を少し上った場所にある砂防堰堤を利用して水を引いているのだが、付近には取水用の土木構造物が見当たらない。取水の方法を阿久津所長に尋ねると、「あれですよ」と堰堤に並行して延びる丸太の列を教えてくれた。
丸太は集水溝の蓋の役割を果たしていて、隣の丸太とすき間を空けながら設置されている。稲荷川を流れてきた水は、このすき間を通じて集水溝に集められ、近くに設けられた沈砂池に流れ込む。大雨の後には集水溝の上に大きな岩石が載ることもあるが、その際は重機で岩石を移動させ、傷んだ丸太の蓋を取り換える。大規模な構造物を設けなくて済むので初期費用が抑えられ、日常の保守管理も比較的容易であるなど、きわめて合理的な取水方法だ。
また、稲荷川から取り込んだ水は山内の防火用水としても活用されているほか、別の水源から取水している二社一寺の共同水道との間で、相互に水を融通する仕組みもできている。自然に逆らわず折り合いながら、その恵みを無駄なく役立てるという考え方は、現代の小水力発電においてもっと生かされるべきだ。
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2016/06/13
2016年6月13日掲載
奄美大島にある九州電力の小水力発電所「新名音川発電所」の再開発工事が終了し、営業運転を再開した。出力は従来の5倍以上、年間の発電量は4倍に増強されている。年間600世帯分の電力を発電する見込みだ。
[陰山遼将,スマートジャパン]
九州電力が進めていた鹿児島県の奄美大島にある小水力発電所「名音川発電所」の再開発工事が終了し、2016年6月9日から営業運転が始まった。
1956年に建設されてから58年間運転を継続していた発電所だが、主要機器の老朽化が進み、設備更新が求められていた。そこで九州電力が2014年9月から再開発工事を実施。最大出力は従来の65kW(キロワット)から5倍以上となる370kWに増強している。
同発電所は名音川から取水し、有効落差約76.87メートルを利用して発電する。最大使用水量は毎秒0.6立方メートルで、年間の発電量は一般家庭約600世帯分の使用電力量に相当する200万kWh(キロワット時)を見込んでいる。これまでの年間発電量は50万kWhだったが、出力が増強したことで発電量も4倍にアップした。
奄美大島は奄美群島の主要島で、沖縄本島、佐渡島に次ぎ日本で3番目に大きな離島である。これまで島内の電力の約66%は、島北部にある単機出力1万kWのディーゼル発電機6台を備える「竜郷発電所」が担っていた。小水力発電所の発電量を増やすこと火力発電所の稼働量を減らせれば、CO2排出量の削減などにも寄与できる。
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1606/13/news086.html
2016/06/13
2016年6月13日掲載
世界全域における同社の全業務に必要な電力の93パーセントを再生可能エネルギーでまかなうアップルが、余剰電力を販売する子会社「アップル・エナジー」を設立した。
TEXT BY LEE BELL
TRANSLATION BY HIROKI SAKAMOTO, HIROKO GOHARA/GALILEO
アップルが、子会社「アップル・エナジー」を設立した。登記されたのはデラウェア州だが、運営はクパチーノにあるアップル本社が行う。
『9to5Mac』が発見した、先日アップルが米連邦エネルギー規制委員会(FERC)に提出した書類によると、アップルは、クパチーノとネヴァダ州の同社ファームにある何百という太陽光プロジェクトにより生み出される余剰電力の販売を考えているようだ。
アップルはFERCに6月6日付けで申請書を提出したが、その60日後から活動開始する許可を求めている。全貌はまもなく明らかになるはずだ。
アップルは2013年、同社データセンターの電力は、石炭などの化石燃料から再生可能エネルギー100パーセントに移行したと発表した(日本語版記事)。
たとえば、ノースカロライナ州メイデンにある同社データセンターは「iCloud」サーヴィスをホストしているが、現在、約40万平方メートルのソーラーファームと燃料電池設備(日本語版記事)からエネルギーの供給を受けている。オレゴン州のデータセンターでは、風力発電や太陽光発電のほか、「マイクロ水力発電」の業者から再生エネルギーを直接購入。ネヴァダ州リノでは太陽光と地熱を利用しているとされている(日本語版記事)。
アップルの最新版「環境責任報告書(PDF)」によると、同社は、世界全域における同社の全業務に必要な電力の93パーセントを、再生可能エネルギーでまかなっている(自社発電と他社からの購入を含む)。アップルの目標は、100パーセント再生可能エネルギーで会社を運営することのようだ。アップル・エナジーは今後さらに成長し、同社のニーズを上回る発電能力を構築することになるかもしれない。
2016/06/11
2016年6月11日掲載
磯山友幸 (経済ジャーナリスト)
仕事を作り、身の回りの必要なものを用意するという自立の精神。そんな思いを持った人たちが「エネルギーの地産地消」に取り組み、仕事の少ない田舎でも自活する術を見出している。
集落のほぼ全戸、約100世帯が出資する水力発電所が今年6月1日に稼働する。岐阜県中央部の郡上八幡からさらに車で1時間ほど。福井県側に峠を越えた山奥にある石徹白(いとしろ)という集落での話だ。
石徹白は、霊峰白山への登山口に当たり、景行天皇12年(西暦82年)に創建されたと伝わる白山中居神社が鎮座する。上古から続く長い歴史を持つ集落だが、いま消滅の危機に直面している。1960年ごろに1000人を超えていた人口は減少を続け、現在270人あまり。何とかこれに歯止めをかけようと始めたのが、豊富な農業用水を活用した小水力発電だった。
発電した電力はすべて北陸電力に売電。集落で使う電力を上回る総発電量になる。計算上の自給率は100%を超え、売電収入が入ってくることになる。その収入を集落の活性化に役立てようというわけだ。
集落の高台を流れる1号用水の水を谷間の朝日添(わさびそ)川に導水管で落とし、途中に設置した発電機の水車を回す。落差110メートルを利用し、最大116キロワット時の発電を行う計画だ。
もちろん小規模とはいえ、発電所の設置には資金がかかる。工事費は2億4000万円。発電が始まれば、売電収入で維持管理費などは捻出できるとしても、そのためには事業主体が要る。そこで、住民が参加する農業協同組合「石徹白農業用水農業協同組合」を新たに設立したのだ。2014年のことだ。
2億4000万円のうち岐阜県と郡上市からの補助金で75%を確保。残りの6000万円を農協への出資と借入金で賄うことにした。地区の自治会長だった上村源悟さん(65)が新設した農協の組合長に就任。地区の代表たちと手分けして住民への説得を行った。
「地域にどんどん元気がなくなっていく。集落の全員が力を合わせて何かに取り組むことが必要だ」
住民の説得に当たった上村さんの危機感は強かった。11年に退職するまで、郵便局長として集落の衰退を見つめ続けてきたからだ。かつては各家庭で行っていた「おとりこし」という秋の収穫後の集まりが少子高齢化と共に衰退。お寺に集まる形で細々と続いていたが、それも2年前に中断した。
説得に自治会が乗り出したことで、集落はひとつになり、発電所のための農協新設に漕ぎ着けた。
実は、今回稼働する小水力発電には前段がある。石徹白が地域おこしの手段として「小水力発電」に乗り出したのは07年のこと。NPOで再生可能エネルギーなどに取り組んでいた平野彰秀さん(40)が、岐阜県内の小水力の適地を探し歩く過程で、石徹白にやってきたのだ。平野さんは大学に入学した18歳から32歳まで東京で生活、外資系経営コンサルティング会社などに勤めたが、08年に32歳で岐阜市にUターンしていた。もともと地域づくりの活動をしたいという狙いがあった。
石徹白を訪れた平野さんと出会ったのが、石徹白で電子機器を扱う会社を営む久保田政則さん(68)。今は地域おこしを担うNPO法人「やすらぎの里いとしろ」の理事長も務める。「豊富な農業用水を目に見える形で活用すれば、地域おこしの起爆剤のひとつのツールになるのではないか」と考えた。
久保田さんは様々な形の小水力発電の実証実験を平野さんたちと共に始める。タテ軸型、らせん型、上掛け水車型。手作りできるものは手作りし、コストを下げた。始めは失敗を繰り返したが、徐々にコツをつかんだ。
改良した「らせん型水車2号機」はパイプの中のらせん状のプロペラが水流で回ることで発電する。設置から7年たった今も動き続け、最大800ワットの電気を起こしている。これは売電せず、NPOの事務所などで使っている。
集落の中心近くに設置したのは上掛け水車型。水車が勢いよく回ることで発電する。この電気は隣接の農産物加工場に供給。使われていなかった減圧乾燥機を復活させ、とうもろこし粉や乾燥フルーツなどを製造する。寒暖差の大きい石徹白のとうもろこしは糖度が高く名産品。形が悪く出荷できないものをパウダー状に加工し、パンやケーキ用として販売している。
初めは奇異な目で見ていた住民たちの意識が変わったのは、こうした取り組みに全国からの視察が相次いだのがきっかけだった。今でも年間500人以上が水車を見にやってくる。09年には石徹白にやってくる人たち向けにカフェをオープン。4月から10月の土日に営業を始めた。何せ300人に満たない集落なので、飲食店も土産物店もなかったのだ。
住民の変化を目にして平野氏も本気になる。いつまでも「よそ者」としてかかわっていたのでは、本物の地域おこしはできない。11年に石徹白への移住を決めたのだ。移住を前に奥さんの馨生里さんは洋裁学校に通い、集落で「石徹白洋品店」を始めた。集落の伝統的なものに惹かれ、石徹白に伝わる野良着「たつけ」を復活させた。そうした地道な取り組みが、小水力発電への住民の理解を深めていったのだ。
住民出資の水力発電所が稼働すれば、売電の利益だけで2000万円前後になる。減価償却分の積立金や利払いなどを除いても数百万円が残る。これを地域振興に活かしていくことになる。
平野さんの移住をきっかけに、都会の若者が石徹白に移って来るケースが増えた。この7年で12世帯にのぼる。実は09年に地域で「石徹白ビジョン」を策定したが、その際に「30年後も石徹白小学校を残す」という目標を掲げた。それを実現するためには移住者は必須なのだ。「石徹白人」という集落の公式ホームページを立ち上げ、「子育て移住してみませんか?」と呼びかけている。
そんな取り組みの結果、移り住んだひとりが廣中健太さん(34)。東日本大震災を機に、震災直前に生まれた子どもと奥さんを連れて神奈川から移住した。平野さんの講演を聞いたのがきっかけで石徹白を初めて訪れたが、白山中居神社を詣でた際に魂を揺さぶられる思いがしたのだという。移住に当たっての問題は「仕事がない」こと。今は、移住前に取得したヘルパーの資格を活かし、介護施設で働く。そのかたわら、農作業や釣り、狩猟など自然を満喫した〝仕事〟をする。
「昔は仕事を作っていたんです。自分で身の回りの必要なものを用意した。自立の精神です」と平野さんは言う。もともと石徹白には「自立の精神」が宿っているという。江戸時代の石徹白の村人は全員、白山中居神社の社人、社家という扱いで、名字帯刀を許され、年貢は免除されていた。住民たちで物事を決める伝統が根付いているのだ。大正13年には村人が皆で出資して発電所を作った歴史もある。石徹白が小水力発電で自立しようとしているのは、実は90年前の再現だったのである。
都会から遠く離れて隔絶された土地で、自然に囲まれて自活する。自立心旺盛な若者たちを引き寄せる空気が石徹白には満ちている。