2013/08/19
全国的な猛暑日となった8月10日、小田原で町づくりなどを担う地元企業や民間団体、学生らのボランティアが「100年前の郷土の小水力発電所を復活させたい」との思いで、土木作業を行った。長く放置されてきた大正時代の小水力発電に、いま注目が集まっている。(ノンフィクションライター・高橋真樹)
大正時代に作られた小水力発電の跡地があるのは、小田原駅から車で10分程の距離にある小田原市久野の山林。この日集まったのは、山林を所有する辻村百樹さんのほか、小田原地域をベースに自然エネルギー事業を立ち上げたほうとくエネルギー(神奈川県小田原市)、その母体となった小田原再生可能エネルギー事業化検討協議会、地域おこしを行う小田原藩龍馬会のメンバー、関東学院大学小田原キャンパスの学生ら約30人だ。
小水力発電の発電機が設置されていた深さ2メートル以上の窪地から、チェーンソーなどで伐採した樹木などを手作業で運び出し、雑然としていた跡地を再利用できるよう整備した。
炎天下で重い切り株を運び上げていた、ほうとくエネルギーの蓑宮武夫社長は言う。「この立派な遺構に感動しました。まもなく建造から100年になるので、それまでに復活させたいと思い、町おこしをやっている人たちに呼びかけました」
■ もともとあったエネルギー資源に目を向ける
この小水力発電所は、1917年(大正6年)に辻村さんの祖父の常助氏が建造し、自らが所有する製材所や自宅などの電力として使用、紡績工場への売電も行っていた。当時の出力は117キロワットで、送電網が久野の山林まで整備された1948年まで稼働していたが、その後は山林の中に放置されていた。この日整備した場所にあったはずのタービン発電機も戦後の混乱で盗難にあっている。
しかし100年前に作られた石組みは、周辺の水路や調整池に至るまで堅牢なまましっかりと残る。「ここを整備して、もう一度光を当てたい」と考えた辻村さんは言う。
「作業の目的は2つ。一つは文化財的に、郷土にこういうものがあったんだという価値を残したいということ。もう一つは、今の技術を使えばもっと良い発電ができるかもしれないという期待もあります。これを活用できれば、地方にもともとあったエネルギー資源に目を向けてもらうきっかけになるのではないでしょうか」
発電所跡地の水利権は辻村さんの所有だが、上流では当時より水量が減っているため、まずはどの程度発電できるか調査を行う予定になっている。また、発電所として使えない場合でも、地域の史跡として保存したいと考えているという。
集まったボランティアに向けて挨拶をする辻村百樹さん
小田原に限らず、かつて日本の山村では盛んに小水力発電によるエネルギー自給が行われていた。明治、大正時代などの最盛期には、全国で約8万カ所にあったと言われている。今では山のエネルギー源に目が向けられることはなくなってしまったが、こうした先人の取り組みから学ぶことは多いはずだ。
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