過去に投稿された記事の一覧です。

2016/06/03

関電工、上結東小水力発電所の新設工事で安全祈願【電気新聞】

2016年6月3日掲載

2019年12月の運開目指す
 関電工は2日、上結東水力発電所(新潟県中魚沼郡津南町、流れ込み式、990キロワット)新設工事の安全祈願祭を現地で開催した。中津川に設置されている上結東砂防えん堤(砂防ダム)の落差を利用して発電する。同社が小水力発電所を建設するのは、葛野川マイクロ水力発電所(山梨県大月市、流れ込み式、160キロワット)に続いて2件目。2019年12月の運転開始を予定している。
 安全祈願祭には同社の水江博社長をはじめ、津南町の村山昇副町長、施工を担当する前田建設工業の前田操治社長らが出席。宮司が祝詞を奏上した後、玉串をささげ、無事故・無災害での工事完了を祈った。(11面)
(続きは、転載元より会員登録のうえ閲覧できます)

http://www.shimbun.denki.or.jp/news/construction/20160603_02.html

2016/06/02

石徹白発電所が完成 住民出資「農村の夢」稼働【岐阜新聞】

2016年6月2日
 岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に、農業用水を活用した小水力発電所「石徹白番場清流発電所」が完成した。同地区約100戸のほぼ全戸が出資した「石徹白農業用水農業協同組合」が主体となり2年前から整備してきた発電所で、全国的にも珍しい事例という。1日に通電式があり、稼働した。
 最大出力125キロワット、年間発電量は約61万キロワット時で、一般家庭130世帯分の年間使用電力量に相当する。総事業費は約2億3千万円で県、市の補助も受けた。
 明治時代に住民が手で堀った農業用水を活用。電気は全量を売電し、年間約2千万円の収益は、耕作放棄地を活用した農業を進めるなど、地域振興に活用する予定。
 通電式には約50人が出席。上村源悟同組合組合長や高木敏彦県農政部長、地元の野島征夫県議らがスイッチを押した。上村組合長は「ここからが本当の仕事になる。この地域を後世につないでいくため、頑張っていきたい」と話した。式典後、組合の平野彰秀参事が施設の概要説明を行った。
 同地区では、県が昨年整備した「石徹白1号用水発電所」も稼働しており、2発電所の年間発電量は、集落の年間電気使用量の2倍以上に相当するという。

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20160602/201606020914_27393.shtml

2016/06/02

ダイキン工業 上水道の設置に向けた超小型マイクロ水力発電システムの開発に着手【省エネ 最新ニュース】

2016年6月2日掲載

 上水道の水流エネルギーを活用

 ダイキン工業株式会社は、2016年5月26日、上水道の管水路の水流エネルギーを利用して発電する超小型マイクロ水力発電システムを、環境省の「CO2排出削減対策強化誘導型技術開発・実証事業」の一環で、神戸市水道局と共同開発すると発表した。

 超小型マイクロ水力発電システム

 小水力発電は年間発電力が多く、安定的に発電する再生可能エネルギーとして期待されるが、100キロワット以下のマイクロ水力発電の場合、機器のサイズが大きく設置場所が限定されることや導入コストが課題だった。
 同社は、横型マイクロ水力発電システムの約半分の面積に設置でき、導入コストを削減した22キロワットクラスと75キロワットクラスの縦型マイクロ水力発電システムの開発・実用化に成功している。

 圧力調整用バルブの代替システムとして

 今回、同社と神戸市水道局は、上水道施設に設置された圧力調製用バルブに置き換える目的で、10キロワット以下の超小型マイクロ水力発電システムの開発に取り組む。バルブはまち全体に供給する水を適切な水圧に調整する機能をもつ。
 これをマイクロ水力発電システムに置き換えると、上水道の水圧調整と同時に、利用されていなかった水流エネルギーを発電に活用できる可能性がある。さらに、鉄・紙、化学品、薬品、飲料品など生産過程で工業用水を使用する工場に同システムを導入することも想定している。
 同社は、共同研究で、超小型システムの開発と合わせて、神戸市水道局福谷(ふくたに)中層配水池に22キロワットのマイクロ水力発電システムを設置し、遠隔制御機能や長期的な性能、メンテナンスなどの運用コストを検証する。

http://www.energy-saving-news.jp/news_baUHQunhvw_806.html

2016/05/31

市がふぉれすとに水力発電設置、児童の学習に活用【登別】【室蘭民報・北海道ニュースリンク】

2016年5月31日掲載
 登別市は、学習用のらせん式小水力発電装置を今夏、鉱山町のネイチャーセンターふぉれすと鉱山敷地内の水路に設置する。施設を利用する小学生らの環境学習に役立てる目的。実際に発電した電力は、装置を照らす照明(外灯)に役立て、発電の様子を分かりやすく紹介する。
 登別市は多雨で豊富な水資源を有することから、かつて鉱山町や登別温泉町などに水力発電施設があったことでも知られる。1908年(明治41年)に開設された幌別鉱山発電所が有名だ。
 市は世界的に再生可能エネルギーが普及する中、道企業局や民間事業者の協力を得ながら、「登別らしい」小水力発電事業の可能性を探ってきたが、「適地を見いだせず」動きが止まっている。
 ただ、市地域エネルギービジョン2004年(平成16年)でも「小水力発電を使った学習プログラムの展開」を位置付けており、小型装置による環境学習機会の提供へ、装置導入を決めた。
 四角い筒形(縦40センチ、横30センチ、長さ1・1メートル)で、中に長さ70センチのらせん形の羽根、発電機が組み込まれている。主に農地の水路で照明などに利用されているもので、価格は約9万円。
 市は7月にも、ふぉれすと鉱山敷地内にある幅1・1メートル、高さ90センチ、水深約50センチの水路に設置する。どのような形で環境学習に役立てていくかの具体策については、今後市教委と協議していく。
 観光経済部の井上昭人総括主幹は「ふぉれすと鉱山は小学生の利用も多く、通学合宿なども行われています。登別の水力発電の歴史なども合わせながら、幅広く教育面で活用していきたい」と話している。

http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=32993

2016/05/30

地域経営の全量売電式「小水力発電所」を考案した織田史郎【環境ビジネスオンライン】

2016年5月30日掲載

はじめに

 昭和25年から20年間に中国地方5県では地域経営の自家用小水力発電所が90カ所(1万2,200kW)建設され、そのうち82カ所は、全量売電式で農村の経済効果のみならず戦後の厳しい電力不足に大きく貢献している。
 ここでは昭和21年中国配電(現中国電力)役員を辞任した「織田史郎」(イームル工業創立者)が、地域の小河川を利用した小水力発電が有力な電源として役立つことを考案し、その開発に生涯をかけた活動をまとめたものである。

織田史郎の略歴と人となり

 織田史郎は明治29年、4男2女の長男として広島県海田町に生まれた。家庭の経済状況から早く仕事につくため職工学校(現広島県立工業高校)へと進んでいる。織田史郎の弟は1,928年アムテルダムオリンピックにおいて、三段跳びで日本初の金メダリストに輝いた織田幹雄。幹雄の10歳上の兄である織田は、広島陸上界のホープである弟を、自らの資金援助により早稲田大学に通わせている。この時の織田は、学歴無しの入社ながら、電力会社で第一種電気主任技術者の資格をとるほどの優秀な社員で、破格の待遇を受けていたという。
 織田の賢人ぶりを思わせるエピソードが残っている。職工学校2年生の時、朝鮮人観光団の学校視察の折、生徒たちが教室のドアーに微電流を流し、案内の校長がノブに手をかけて発覚、激怒するといういたずら事件が起こった。
 織田は首謀者として放校された。しかし、実際は織田があまりに勉強家で、教科書以外にも海外の電気技術書を自習し、教師も知らないことを質問し困らせていたことが要因とされている。
 学歴は尋常高等小学校卒となったものの、職工学校で群を抜いて優秀な生徒がいるとの評判は、電力会社に伝わっていた。織田は、広島呉電力会社に就職、入社後も海外書を英語・ドイツ語辞書で読むなど猛勉強し、難関の電検一種合格したのは28歳だ。すでに対官庁では役員級の対応を受ける貴重な技術者であった。発電建設部長から42歳で取締役技術部長に昇格。豪邸を建てたが、書物が入りきらず、別棟に書庫を建てたという逸話も残っている。
 昭和20年の敗戦時には50歳、中国配電筆頭理事の要職にいたが、敗戦濃い20年初めにロケットの制御技術担当責任者として軍に招集されている。
 しかしこれが仇となって昭和21年11月マッカーサー追放令の対象者となり、退職金無しで同社を辞任した。
(続きは掲載元より会員登録のうえ閲覧できます)

https://www.kankyo-business.jp/column/012675.php

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