2015/07/27
2015年07月27日 地方版
京都を代表する景勝地・嵐山(右京区)。そのシンボル・渡月橋のたもとで、掲示板が刻々と変化する数字を表している。「3・82、3・83……」。単位はキロワット。桂川の上流約100メートルにある発電所の発電量を示しているのだ。
前回訪れた関西電力夷川(えびすがわ)発電所(左京区)は発電量300キロワット、一般家庭で約500軒分の「ミニ水力」だったが、この嵐山保勝会発電所はぐっと小さく、最大5・5キロワット、落差1・74メートルを利用した「マイクロ水力」だ。1級河川内に設置が認められた全国初の小水力発電というから、小粒でもあなどれない。
渡月橋は、平安時代初期に空海の弟子が架橋したとされる。現在の橋は1934年に設置されたが、その後の改修でも「景観を損なう恐れがある」と照明の設置が見送られた。
だが桂川両岸を結ぶ主要な生活道路。路線バスも走れば朝夕は自転車があふれる。周りが山々に囲まれ、秋などは夕方にはどっぷりと暗い。照明を願う住民の声は根強く、保勝会が関係方面に働きかけ、2005年12月、嵐山の自然にマッチした小水力発電が誕生、長さ155メートルの橋に60基のLED照明が住民の足元を照らすようになった。余った電力は販売し、年間40万円ほどになる。
保勝会理事(小水力担当)の吉田憲司さん(61)は「かつてなら1級河川に小水力発電の設置が許可されることなど考えられなかった。土地改良区や漁協とも調整が必要だったが、京都議定書の発効などによる環境意識の高まりが追い風になった」と振り返る。
◇
この発電所を、ミャンマーの野党指導者、アウンサンスーチーさん(70)が訪れたのは13年4月のこと。スーチーさんは小さな水力発電に強い関心を抱き、「仕組みは?」「ランニングコストは?」などと吉田さんに矢継ぎ早に質問を浴びせたという。
案内役はスーチーさんと40年来の親交がある神戸大名誉教授(ロシア経済)、大津定美(さだよし)さん(77)=大津市。軍事政権による軟禁が解かれた後の12年1月、26年ぶりににスーチーさんと再会した。その際、深刻な電力不足に苦しみ、農村では未だに電灯もないミャンマーの姿に胸を痛めた。
「1950年代に日本の戦後補償で電源開発が進められたが、大規模なダム建設で多くの農民が土地を追われた。電力は大都市に送られるだけで、農村には恩恵が及ばない。自分たちの手で電力を得ることができる小水力発電こそが国民の生活を向上させる」
そう考えた大津さんは仲間と勉強会を重ね、NPO法人「小水力発電をミャンマー農村に」を設立。日本のメーカーなどと農村部を実地調査し、小水力発電の可能性を探る。
「豊富な資源を求め海外資本がミャンマーに進出しているが、スーチーは『格差を拡大しない支援』を日本に求めている。工夫とやる気さえあれば農民が自分で電気を作り出せる小水力はうってつけ。日本には迫害を逃れてきた多くのミャンマー人がいる。彼らに技術を習得させ、母国の国づくりに参加してほしい」
「山と川があってこそ嵐山。小水力はそれを次の世代に受け継ぐ手立て」という吉田さん。地産地消型のエネルギーが地域を守ることはミャンマーとて変わりはしない。【榊原雅晴】=次回は8月10日。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20150727ddlk26040372000c.html
タグ:京都府